2009年07月01日

近年のマクロ経済学の進展は

近年のマクロ経済学の進展は、マクロ経済学に新たな局面をもたらした。古典派とケインジアンというこれまで相容れないと考えられてきた二つの学派が、上述のように少なくとも新しい古典派とニュー・ケインジアンの間では共通の土壌を見出しつつある。両者はマクロ経済学にはミクロ的な基礎が必要であること、経済主体の期待が大きな役割を果たすことの2点では合意を見ているからだ。

さらにニュー・ケインジアンは近年では新しい古典派が用いてきた最適成長モデルやリアルビジネスサイクル理論を出発点に、それらにいくつかの仮定を追加することでケインズ経済学にミクロ的な基礎を与えようと試みつつある。リアル・ビジネス・サイクル・モデルを原型とした諸々のモデルを動学的確率的一般均衡(Dynamic Stochastic General Equilibrium, DSGE)モデルとも言うが、新しい古典派とニュー・ケインジアンは動学的確率的一般均衡モデルを用いるという点でも共通している。

さらに新しい古典派の側でも従来のワルラス的な完全競争市場の仮定を緩める動きが見られる。彼らの中にはモデルを構築する際に外部性や不完全情報、さらには規模の経済や独占的競争を取り入れる者もいるのだ。その典型が内生的成長理論である。このように新しい古典派とニュー・ケインジアンは非常に似通った理論構築を行っている。このような動向は、短期の景気循環や長期の経済成長などマクロ経済現象を統一的に分析するフレームワークを構築する方向へ向かうものと評価されている。

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ただ、こうしたミクロ的基礎を強調する新しいマクロ経済学に対しては、セイの法則を受容する古典派とこれと対立するケインジアンという古典的な二分法をケインズから受け継いだポスト・ケインジアンと呼ばれる学派の人々からは、鋭い批判が寄せられている。しかし、数の上でも主流派である新しい古典派とニュー・ケインジアンがミクロ的な前提条件の受容において接近している状況の下では、古典派とケインジアンという二分法は、少なくとも近年のマクロ経済学の動向を捉える上では、以前ほどの意味は持たないと評価されている。

2009年06月13日

星団(せいだん、star cluster)は、お互いの

星団(せいだん、star cluster)は、お互いの重力によってつくられた恒星の集団。ただし、銀河は含まない。その性質により散開星団と球状星団に分けられる。
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数百の恒星がまばらな集団になっているもの。年齢数十億年以下の比較的若い星が多い。銀河の円盤部にできる分子雲から誕生するため、天の川付近に多く見られる。

数十万という恒星が密集している星団。年齢100億年以上の星々からなり、銀河形成の初期段階でできたものとされている。我々の銀河系の場合、全天に分布しているが、銀河中心のあるいて座の方向に多く見られる。

星団の星の密度を表すのにはアメリカの天文学者ハーロー・シャプレーが考案した分類法が用いられている。散開星団についてはもっともまばらなものをc、もっとも密なものをgとしたアルファベットによる5段階分類、球状星団についてはもっとも密なものをI、もっともまばらなものをXIIとしたローマ数字を用いた12段階分類を行っている。

散開星団
おうし座のプレアデス星団(M45)
かに座のプレセペ星団(M44)
おうし座のヒアデス星団
球状星団
さそり座のM4
ヘルクレス座のM13

2009年06月08日

自我(じが 独: das Ichまたは独: Ich)は哲学

自我(じが 独: das Ichまたは独: Ich)は哲学および精神分析学における概念。なお代名詞の独: ichとは、頭文字を大文字で表記することで区別される。

哲学におけるdas Ich(私とも。以下自我とする)は自己意識ともいい、批判哲学および超越論哲学において、自己を対象とする認識作用のこと。超越論哲学における原理でもある。初期フィヒテの知識学においては、自我は知的直観の自己定立作用 (独: Selbstsetzung) であり、哲学の原理であるとともに唯一の対象である。自然はこれに反定立される非我 (独: das Nicht-Ich) であって本来的な哲学の対象ではない。したがってフィヒテにおいては自然哲学の可能性は否定される。これに対し、他我 (独: das Anders-Ich) と呼ばれる個別的人格の可能性は、非我と異なり道徳性において承認されかつ保証され、この構想はシェリングおよびヘーゲルから様々な点で批判された。一方フィヒテ自身もこの自我概念にあきたらず、後期フィヒテにおいては自我は我々(独: das Wir)および絶対者 (独: das Absoloute) の概念へと展開される。 すなわち、後期ドイツ観念論においては、もはや自我は体系全体の中軸概念としては扱われなくなる。
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シェリングはフィヒテの自我概念を摂取し、『自我について』("Vom Ich") で自我の自己定立性を、無制約性と結びつけた。自我論文においては、物(独: das Ding)である非我一般に対し、無制約者 (独: das Unbedingte) としての自我は「物(独: Ding)にされないもの」として対置させられる。そのような自我の特質としての無制約性が自由である。ここにおいて思惟の遂行としての哲学すなわち無制約な自我の自己知は、自由な行為 (独: Handlung) となり、カント以来の課題であった知と行為の一致は、ただ自我の自由においてのみ一致する。また、シェリングはフィヒテが否定した自然哲学を主題的にとりあげ、『超越論的哲学の体系』において自我の前史・自我の超越論的過去としての自然という構想を得る。さらに進んで、『我が哲学体系の叙述』では、自我すなわち主観的精神と客観的自然はその原理において同一であり、無限な精神と有限な自然とは、即自において(それ自体としては)無差別な絶対者であるといわれる。これによってシェリングの同一哲学の原理である無差別(独: Indifferenz)が獲得される。 このような思想において、主観的なものとして取り上げられるのはもはや自我ではなく、むしろ精神であり、また精神における主観的なものとしての知また哲学となる。後にヘーゲルは『精神の現象学』でこの絶対者概念を取り上げ、このような同一性からは有限と無限の対立そのものを導出することができないと批判した。そのようなヘーゲルの体系では、自己意識は精神の発展・教養形成の初期の段階に位置づけられ、もはや初期知識学のような哲学全体の原理としての地位から退くのである。

一方、マックス・シュティルナーはフィヒテの自我の原理をさらに唯物論的に発展させ、自我に価値を伴わない一切の概念をすべて空虚なものとした極端な個人主義を主張。国家や社会も自我に阻害するものであれば、排除するべきであるという無政府主義を主張した。

2009年04月25日

セティ1世

セティ1世(在位:紀元前1294年 - 紀元前1279年)は古代エジプト第19王朝の第2代ファラオ。ラムセス1世の息子。名は「セト神の君」を意味する。セトの名を冠したファラオの即位は久方ぶりの出来事で、セト神信仰の復活を象徴する出来事でもあった。即位名はメンマアトラー。意味は「永遠なるはラーの正義」。

非常に大柄で戦士になるために生まれてきたような男であったが、同時に芸術にも関心が深かった。性格は穏やかであったとも伝わる。 アマルナ時代の悪政によって低下したエジプトの国力・国威を回復すべく、父ラムセス1世の共同統治者としてシリアへの軍事的対処を行い、父の死後は政策を継いで北方のパレスチナへと遠征しヒッタイトを押し戻すことに成功した。

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また南方のヌビアにも遠征し成功を収めたほか、紅海地方で金鉱を発見している。 このほか、リビア人の侵略を撃退してもいる。リビア人は後にエジプトに同化され、ファラオさえ輩出することになるのだが、この時点では単なる侵略者であった。 内政面ではアマルナ時代の影響を一掃すべく、伝統的な宗教・芸術の復興に力を注いだ。 アビドスのオシリス神殿やカルナックのアメン神殿多柱室、自身のための葬祭殿などの建設事業はその一環である。自身のためにはほかに王家の谷に壮麗な墓を建設している。これらは遠征とともに、諸国にエジプトの国力回復を見せ付ける示威行為であった。世に広く知られるエジプト美術は彼の治世に完成されたものであると言われる。
現在カイロのエジプト考古学博物館にて保存されているセティ1世のミイラは、かなりの高水準で保存状態が良い物である。防腐処理の際に塗られた樹脂が変色したために黒く変色してはいるものの、その顔はあたかも生きた人間のそれと大して変わらない物になっている。当時の防腐処理技術が、非常に高度なレベルにまで達していた事を物語っている。 映画「ハムナプトラ」では祭司イムホテップと愛妾アナスクナムンに殺されている。

2009年04月07日

具体音の導入

ミュジーク・コンクレートにおけるサンプリング手法はその後、電子的なサンプラーにより、一般的なポップミュージックにも応用されるようになった。これは具体音の録音を音楽の一部として認識するという意味において特筆すべき事項である。音を録音してさらにそれを電子的な技術により変調させたものを使うという発想が一般に定着したのは、ミュジーク・コンクレートの功績が大きい。

ただしクラシック音楽の歴史において具体音を効果として盛り込む試みはすでに多く見られる。例えばレオポルト・モーツァルトの「おもちゃの交響曲」での鳥笛など音の出るおもちゃ、ヨーゼフ・シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」での鉄のレールをハンマーで叩く音、マーラーの交響曲で使われる木づちや鎖など特殊な打楽器などである。セミクラシックと呼ばれるルロイ・アンダーソンの「タイプライター」では、題名どおりそのものを打楽器として用いている。

音楽劇の中で劇中の小道具を音楽に取り込む用法としてはワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」で、主役の靴職人ハンス・ザックスが宿敵ベックメッサーの歌の練習を邪魔して靴を叩く音を挿入したり、サティの舞台音楽「パラード」で大騒ぎの挙句ピストルやサイレンの音を挿入したりするなどの例が挙げられる(サイレンの音は、後にエドガー・ヴァレーズが「イオニザシオン」などで純音楽的効果として用いている)。これらは録音技術以前において具体音を音楽として取り込んでいる例である。

また具体音を楽音で模した例となると無数にある。シャルル=ヴァランタン・アルカン、アルチュール・オネゲル、ルーズ・ランゴーが鉄道の音を模倣しているが、アルカンのころには既存の音楽の枠に具体音を押し込めていたのが、ランゴーのころには忠実な具体音の模写そのものが音楽になっている。直接的な音響効果を求めるだけでなく、その音響を聴き手が認識することによってその音から別の事象が連想されるという意味合いがある。

これら具体音の導入は、商業音楽などの分野にも決定的な影響を与えた。日本における前衛的音響はテレビ番組の効果音からJ-POPのバックトラック、果てはアニメのサウンドトラックまで幅広く浸透しており、「作品としてなら聞けないが、効果としては聞ける」受容へ至っている。簡単に受け入れられた例として「ゴジラ」の鳴き声を挙げておく。伊福部昭の発案によるこの音は、コントラバスの特殊奏法を最大限に増幅して得られた。本来微小な音響を最大限に増幅する手法は小杉武久や池田亮司の作品においてしばしば現れるものである。

現代音楽における他分野の音楽の引用 [編集]
この試みについては古くは20世紀初頭でのアイヴスの異なる音楽同士の組み合わせや、ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」におけるジャズの語法の導入、さらにさかのぼれば18世紀にベートーヴェンが当時の流行歌を主旋律に取り込んで変奏曲に用いたピアノ三重奏曲「街の歌」などにも見られる。これらは単に語法を取り込んだという事実だけでなく、その語法を取り込むことによって聴き手に既聴感を想起させ喜ばせるという意味合いも生まれる。

主に近年のマニエリスムの音楽の作曲家の間では、こうした手法は広く行われている。現代音楽の古典としての地位を占める作曲家ルチアーノ・ベリオの一部の作品では、例えばテープ音楽「迷宮」において、フリー・ジャズ的な語法およびポップ音楽のバックコーラス的なスキャット唱法などがかいま見えるが、これは後のマニエリスムの音楽の潮流の到来を予感させるとも言える。

その最大の立役者はドイツのケルンのシュトックハウゼンの先輩にあたるベルント・アロイス・ツィンマーマンであろう。彼のクラシック音楽のほとんどまたは常に登場するジャズの語法と引用の頻度の多さでのコラージュ手法は、他の作曲家の追従を許さない反面、プロコフィエフやヤナーチェク、カール・オルフの繰り返しの技法のように常にその一定の作法に頼ってしまうという危険性も併せ持っている。引用音楽の王者とも言われる。


アマウ クチュール カートゥ ヌクレア ロデックス シフォン サーチ気球 ぎおん ミルキー バルコニー シェア クロモジ ジアス ゲードル じょうそう ドキュメ サクラソウ ハーフ デニム フォトジ ちとせ モンター ローブ レモン パラオ キッチュ マンノ ソテツ 江戸一 フェデ バンデージ スムーズ テレオ ドット ヤマブ チューニン オーダー バックミラ ニョリータ ネベ幸 ボール ニビル ギアシフト がかい あかぼり ビューロ ビロウ バンカ ユーラトム シーディー

2009年03月23日

松浦線

旧社名:佐世保鉄道
区間:上佐世保 - 左石 - 実盛谷 - 四ツ指 - 佐々間・佐々 - 世知原間・左石 - 柚木間・実盛谷 - 相浦間・四ツ指 - 臼ノ浦間
買収:1936年10月1日
改軌:1945年3月1日
私鉄買収線の最後の路線である。愛媛鉄道と同じく鉄道敷設法に規定された予定線との重複による買収ではなく、1920年に帝国議会で「軽便線」として予算承認された伊万里 - 佐世保間の予定線と重複したこと、また伊万里側・佐世保側で本格的に工事が始まったことを受けて買収された。

同社は本線の他に支線を4本も持っていたが、予定線との重複は実際には上佐世保 - 左石 - 実盛谷 - 四ツ指 - 佐々 - 吉井間という本線の部分だけで、他の支線は必要のないものであった。しかしいずれも短い支線であることから単独採算が取れないこと、またそれぞれの支線が運炭線として重要な役割を果たしており、国策の面からも買収すべきと考えられたことから、全路線が買収されるに至った。ただし路線名称は路線別には制定されず、総称で「松浦線」の名称が与えられた。またいくつかの駅名が改称されており、特に四ツ指駅は地名の読みが「よついび」であるのを「よつゆび」と誤解した上に字を間違えて命名したものであったため、本来の地名である四ツ井樋駅に改称された。

改軌は当初出足が遅かったが、太平洋戦争が始まると軍港・佐世保を抱えていることや運炭線であることから軍需輸送手段としての重要性が高まって急速に進展し、1943年8月30日には北佐世保-左石-実盛谷間・左石-柚木間・実盛谷-相浦間が改軌完了した。この際、上佐世保-左石間と実盛谷-相浦間は経路が変わり、起点駅が北佐世保駅に変更されている。
キーワ マラガ エンドロ せきがく ゆずりは シリアス パンパ ミント 春紫苑 ヒッピ マスタ ビューロ シーア ネーム たこあし スミス ビリティ ニッパー パンチ メチエ マフラー ガビアル きがん デュープ ナップ キーポイ うぐい ラティーノ テキスト キミと僕 サイトリー バーミュ マティ たいこう トトス フォーク ジンキケロ バランス フラッペ ルネサ シンシティ メリット トーン ファントム ジャングル エレジー タンク タール 光夜宴 プルーフ

1944年4月13日には四ツ井樋 - 佐々間と佐々 - 吉井 - 世知原間・四ツ井樋 - 臼ノ浦間が改軌を完了した。これにより列車が吉井 - 四ツ井樋 - 臼ノ浦と運転されるようになり、世知原方面の支線はそれまでの佐々分岐から吉井分岐に変更となった。

そして1945年3月1日に相浦 - 四ツ井樋が改軌され、全線の改軌が完了している。この時には実盛谷-真申間で山廻りから海廻りへ経路変更が行われ、結果実盛谷 - 相浦間の支線が本線の一部に組み込まれることになった。また一時的に北側で本線となっていた四ツ井樋-臼ノ浦間はこの工事によって本線が全部改軌されたため、再び支線に戻っている。なお、分岐駅であった実盛谷・四ツ井樋の2駅は廃駅となった。

この改軌と同時に路線が分離され、北佐世保 - 左石 - 相浦 - 佐々 - 肥前吉井間が松浦線の一部、左石 - 柚木間が柚木線、佐々 - 臼ノ浦間が臼ノ浦線、肥前吉井 - 世知原間が世知原線として継承された。しかし石炭産業の衰微で炭鉱閉山が相次いだことから、1967年に柚木線、1971年に世知原線・臼ノ浦線が廃止。松浦線も1988年に第三セクター転換され、現在は松浦鉄道西九州線として現役を保っている。

工事用専用線 [編集]
上記は全て正式の営業線であるが、国有鉄道ではこれらとは別に大規模な工事の際に敷設する工事用専用線でも762mm軌間を採用し、特殊狭軌線とした路線があった。特殊狭軌線として敷設された工事用専用線は以下の7線である。

丹那トンネル東口軽便線
丹那トンネル西口軽便線
工事用上越軽便北線
工事用上越軽便南線
第一飛鳥トンネル工事材料運搬線
信濃川発電所第1・2期工事用材料運搬線
信濃川発電所第3期工事用材料運搬線
これらの路線は工事の実務に用いられるだけでなく、客車を有して作業員やその家族を輸送したり、生活物資を輸送したりするのにも使用された。

戦後は隧道工事の技術が上がったことや、トラック輸送が常用されるようになったために、工事用専用線そのものを敷設することがなくなり姿を消した。

2009年03月08日

世界の一体化

世界の一体化(せかいのいったいか)とは、世界の歴史において、交通や通信の発達などによって、諸地域間の分業システム(近代世界システム)が形成され、固定化され、また幾度か再編されたその全過程をあらわす。歴史事象としては、16世紀の大航海時代以降本格化し、現在もなお進行中である。

主として歴史学上および歴史教育における概念であり、とりわけ日本における世界史教育では平成11年以降学習指導要領のなかで基軸となる観点のひとつとして盛り込まれた。

「世界の一体化」という言葉
1953年、鈴木成高は「世界の一體化」のなかでアーノルド・トインビーが文明史の立場から「ダ=ガマ以後」をそれ以前と峻別し、近世に着目して世界の一体化の進展を論じていることを受けて、ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』を例示しながらコミュニケーション革命(運輸革命)の進展についてその重大性について説きおこし、二度の世界大戦を経て「世界の完全なる同時化」が実現したと指摘している[1]。

それ以後も、九里幾久雄「世界の一体化を中心とした世界史の構成」(1970年)[2]、中山治一「世界の一体化」(1975年)[3]など、この用語は広く使用された。

「世界の一体化」は、意味合いとしては「グローバル化」「グローバリゼーション」とほぼ同義である[4][5]。学際的にグローバリゼーションの概念に取り組んだ伊豫谷登士翁編『グローバリゼーション』では、先駆者的な存在としてウォーラーステインの世界システム論を掲げている[6]。ウォーラーステイン自身は、『入門・世界システム分析』の用語解説において、グローバリゼーションという言葉は1980年代の発明だとしている[7]。

なお、川北稔は、世界システム論とパトリック・カール・オブライエンらのグローバル・ヒストリーとの違いに論究するなかで、ウォーラーステインの所論は伝統的なアジア史研究者などから「ヨーロッパ中心史観」だとするような批判があるが、それは誤解であるとして、世界システム論における「世界」とはいわば広汎な分業体制のことだとしている。それによれば、「世界」がグローバル、すなわち地球的になったのは近年の現象にあるにすぎず、それこそ近代世界システムの成長の到達点としての現象なのであり、かつては地中海世界、東アジア世界など、いくつもの世界があったのだとしている[8]。

「世界の一体化」における分業関係には、ウォーラーステインが指摘し、平成11年改訂の高等学校地理歴史科「世界史A」学習指導要領が言及するように、経済的不平等・経済格差をともなっている[9]。また、ここでいう「一体化」とは、経済的不平等を生み出しながらも互いに結びつきが深くなることを意味し、切り離すことがいよいよ難しくなる傾向や様態をあらわしており、「同一化」や「平準化」は含意していない。

アメリカ合衆国の歴史社会学者イマニュエル・ウォーラーステインはアフリカ研究から出発して1970年代に「従属理論」の影響のもとマルクス主義に近づく一方、歴史に長期的および短期的変動の組み合わせをみるフランスのアナール学派第二世代の中心的な歴史家フェルナン・ブローデルの社会史、「全体史」そのほか、カール・ポランニーの経済人類学の方法なども取り入れて、独自の世界システム論をうちたてた。
バース むぐら ティラミス スカーレット テキーラ 吉日 メルルー ももいし 高潔 サーチ花粋 オーラップ フロア ブイヤ マデイラ シュロ コムタン 滝の白糸 西村 ネガ トール いこて ツリフネソ ミドル マインド ビッグ ラット レックス 夾竹桃 キエフ ラクーン ブルガリ チョッパー メンデル バリウ モルガ ピュアコ バグダッド ひおき マイナ トウガラシ なんぽろ ライフボート ルミッ リアダ ステロール ジャスミン 水玉シャツ ジャンボ シプル パスボール

彼は、それまでの歴史学は世界史を国家や民族の「リレー競争」のようなものとして描いていると批判した。つまりそれは、どの国や民族も同じ段階をたどることを暗黙の前提としており、それゆえ、それぞれの国や民族にとって、いまどの段階にあるかを知ることが肝要となる。しかし、ウォーラーステインは、実際には世界、とくに16世紀以降の近代世界は一国史の寄せ集めではなく、一つの大きなシステム(「世界経済」)であり、個々の国や民族はこのシステムを構成する要素であって、それぞれの国の歴史は世界史の部分にほかならないとした。こうした立場に立つと、重要なことはむしろ、このシステムの内部においてどのような役割を果たしているかということになる[10]。

こうした考えは従来の歴史像を一新するほどの影響力をもったが、それにもまして、それに先立って1966年に発表されたアンドレ・グンダー・フランクの論文「ラテンアメリカにおける低開発の開発」は、それまでの先進国と後進国の対比によって語られる「低開発イコール発展段階の遅れ」とする見方を否定し、サテライト(衛星)諸国の低開発はメトロポリス(中心)諸国の開発によって作り出されたものであると主張して衝撃をあたえた。つまり、フランクによればイギリスにおける開発とインドにおける低開発はいわばコインのオモテウラのようなものであり、一つの歴史的なプロセスにおける 2側面である。世界資本主義とは、このような裏表をなす2つの部分より成り立つ構造なのであり、開発と低開発の問題を考慮するには、この構造そのものを検討しなければならないとした。

エジプト出身の経済学者サミール・アミンは、このフランクの考え(従属理論)を踏襲し、経済学的に展開することを試みた。彼は世界資本主義を「中心部」と「周辺部」とに二分して、両者の関係をフランクが単に経済余剰の獲得と充用の対立として説明したのに対し、彼はこれを分業構造であると把握し、

輸出品生産部門
大衆消費財生産部門
奢侈消費財生産部門
生産財生産部門
の4つに分け、このうち「周辺部」資本主義が1.と3.を、「中心部」資本主義が2.と4.を引き受けることによって、後者が前者を支配するとした。そして、世界資本主義の2つの部分をマルクス主義でいう「社会経済構成」であるとし、それぞれが資本主義的生産様式の組み合わせではあるが、「中心部」が資本主義に純化する傾向をもつ一方、「周辺部」ではいくつもの生産様式が残り、いつまでも併存するものとしてとらえた。

ウォーラーステインは、フランクやアミンら「従属理論」の影響を強く受けながらも、それが「中心」と「周辺」の関係が固定的にとらえがちな傾向にあったことを考慮して、下表[11]に示すように、両者の垂直的分業関係のあいだに中間(混合経済)領域として「半周辺」(「半周縁」)を設け、世界システム構造の複雑を指摘すると同時に、内部における上昇や衰退の可能性(流動性)をより的確に把握できるようにした。

2009年02月19日

レイダーガンダム(Raider Gundam)

レイダーガンダム(Raider Gundam)は、テレビアニメ『機動戦士ガンダムSEED』に登場する架空の兵器。

アズラエル財団傘下の国防連合企業体が、初期GAT-Xシリーズのデータを基に独自開発した3機の後期GAT-Xシリーズの1機。
キネテ 紅葉の旅 菊座おり しぼり キューシ チェリー シンボル オートキプ ニース オレン よぶすま ラン タイト フォール オムレツ フーガ グマー ディム ドナルドック かみす ラビ ふじ豆 エッグ エッジボール レプラ タロッ 全国通 タウン ガーネット スイッチ デニム マハラ ロール コロンブス タスク フェーン パツ バルカン スケッチ タロー プレッピ ロッタリ メッキ しとみや スイー ロード ハドロン ゆうじょ テーベ

初期GAT-Xの1機イージスと同じX300系フレーム採用の可変MSとして開発されたが、構造的な共通性は皆無であり、変形方法もかなり簡素化されている。また、基本的に宇宙用であるイージスと違い大気圏内運用も考慮されており、背中の大型可変翼を展開した猛禽のような飛行型MAに変形する。MAの機動性で敵を撹乱しつつ接近、瞬時にMSに変形して打撃を与え、再びMAに変形して離脱するという、一撃離脱戦法を基本戦術とする。また、多大な余剰推力を活かし、背中に他のMSを載せて輸送することも出来る。

初期GAT-X機に採用されたPS装甲の省電力型トランスフェイズ装甲をコクピットなど重要部位のみに配置したことで、稼働時間が大幅に延長されている。また、武装面でもビーム兵器の装備を必要最小限に止めることで、電力消費を抑えている。

武装
100mmエネルギー砲「ツォーン」
顔面の開口部より発射される高出力エネルギー砲。射程は短いが、機体の機動性との相乗効果で高い威力を発揮する。ツォーンはドイツ語で「怒り」の意。
破砕球「ミョルニル」
モーニングスターに類似した質量兵器。ワイヤーで機体と繋がれた金属球を敵機に投げ放ち、球に内蔵されたスラスターで軌道コントロールをしつつ高速で敵機に叩きつける。金属球は高質量の圧縮素材で構成されており、通常装甲のMSなら一撃で破壊可能。また、金属球を振り回すことにより、ワイヤー部分で相手の攻撃を防ぐことが可能となっている。ミョルニルは、北欧神話のトール神が持つ武器ミョルニルに由来している。
2連装52mm超高初速防盾砲
シールドと2連装高初速機関砲を組み合わせた右腕の複合武装。劇中の発射エフェクトは実弾武装に用いられる黄色の光軸だが、OPの一部のシーンではビームに用いられる緑色の光軸となっており、公式サイト及び小説版ではビーム砲と記述されている(小説版で実弾でもあるかのような描写もあるため、ビームと実弾との切り替えが可能という可能性もある)。
短距離プラズマ砲「アフラマズダ」
腰の大型クローの付け根に位置し、MA形態時にクローで掌握した敵機に対してのゼロ距離攻撃に使用される。プラズマを打ち出す銃火器にもなり、先端に小型のビームサーベルを形成する事も出来る。アフラマズダは、ゾロアスター教の最高神「アフラ・マズダー」に由来する。
M417 80mm機関砲
MA時の機首に格納された大型機関砲。
M2M3 76mm機関砲
MA時に折りたたまれた肩から展開される機関砲。

劇中での活躍
コズミック・イラ(C.E.)71年6月15日の「オーブ解放作戦」において、初めて実戦投入されフォビドゥンとの連携によりフリーダムを追い詰めるが、ジャスティスの介入を受け撤退を余儀無くされる。カラミティを含め3機で戦闘を行うが、薬物が切れた事による禁断症状のためにパイロットが戦闘を継続出来なくなり撤退した。その後、主にジャスティスと交戦し、「ファトゥム-00」を使った攻撃により機体の一部を破壊され撤退した。

第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦において、プロヴィデンスのドラグーンを受け中破したバスターに襲い掛かるが、バスターの元僚機であるデュエルとの撃ち合いにより撃墜された(『スペシャルエディション完結編 鳴動の宇宙』では、プロヴィデンスと交戦する前のバスターと交戦し、撃墜された)。

レイダー制式仕様
諸元 レイダー制式仕様
型式番号 GAT-333
全高 17.94m
装甲材質 トランスフェイズ装甲
武装 GAU-8M2 52mm機関砲ポッド×2
AIM-957Fキングコブラ赤外線誘導短距
離AAM×2
M20 20mmクロー部機関砲×2
M2M3 76mm機関砲×2 他
搭乗者 エドワード・ハレルソン
ウォーイック
パーマー 他
本来の開発計画に基づいて生産されたレイダーの制式仕様機。型番上ではX370よりも先に開発された機体だが、実際の就役は後となった。X370に実装された頭部ツォーン、2連装52mm超高初速防盾砲、破砕球ミョルニルは全て排除され、その他の武装は実弾機銃に換装されたアフラマズダを始め、実弾武装がメインとなっている。

サブアームに保持される大型の副翼は、翼面のラッチにMS形態時の携行武装やミサイルをマウント可能なウェポンプラットホームとして使用可能となっており、航続距離の延長と戦闘能力を上昇させている。大気圏突入の際に発生する高温度の熱を機体本体から遮断する断熱材の役割を果たしており、大気圏外へ離脱後、専用ポッドを用いて大気圏再突入を行う事で直接目標に降下・攻撃を行う戦法が可能であり、強襲機としての能力はX370を上回る面もある。

MA形態時は、上部にMSを搭乗させることが可能であり、無線コントロールすることでサブフライトシステムとしての運用も可能となっている。

後に、対PS装甲機用として、アフラマズダとダガー用のMX703G ビームライフルを装備する後期型も極僅かだが生産された。

なお『SEED MSV』によると、X370はオーブ攻撃のために急遽製造された試作機となっている。

劇中での活躍
八、八作戦時にザフト軍カーペンタリア基地を急襲した。 南米独立戦争時にエドワード・ハレルソンが宇宙でモーガン・シュバリエのガンバレルダガーと交戦。 『スペシャルエディションIII 『運命の業火』』では、ヘブンズベース攻防戦において、ヘブンズベースに配備されていたレイダー制式仕様が、レジェンドと交戦し、3機のウィンダムと同時に撃墜された。

2009年02月03日

大伴(おおとも)氏は、古代日本の有力氏の一つ。

大伴(おおとも)氏は、古代日本の有力氏の一つ。姓(かばね)は、連(むらじ)、八色の姓の時宿禰の姓になる。天孫降臨の時に先導を行った天忍日命(あめのおしひのみこと)の子孫とされ、佐伯氏とは同族関係であるとされている(一般には佐伯氏を大伴氏の分家とするが、その逆とする説もある)。
大伴は、おそらく「大きな伴造」という意味で、多くの氏族を束ねていたと思われる。そのため、物部氏と共に軍事の管理を司っていた。軍事氏族としての大伴氏と物部氏の違いは、あえて言えば、親衛隊的な大伴氏と、国軍的な物部氏と見ればわかりやすいであろう。主に、現在で言う皇宮警察や近衛兵のような役割をしていた。
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全盛期
雄略天皇の時代の5世紀後半の大伴室屋(むろや)の時代より勢力を伸ばし、武烈天皇の代に孫の大伴金村(かなむら)が大連(おおむらじ)になった時が全盛期であった。金村は継体天皇を迎え入れた功績があり、また任那の運営を任されており、武烈、継体、安閑、宣化、欽明の5代にわたって大連を務めたが、欽明天皇の時代に百済へ任那4県を割譲したことの責任を問われ失脚し、摂津国住吉郡(現大阪市住吉区帝塚山)の邸宅に篭る。以後、蘇我氏と物部氏の対立の時代に入る。 (なお、これについては故黒岩重吾は実際には即位していない安閑・宣化と欽明天皇の王位継承争いに巻き込まれて失脚したと主張していた。)

飛鳥時代から奈良時代
しかし、大伴氏の力はまだ失われておらず、飛鳥時代の大化の改新の後、649年に大伴長徳(ながとこ)が右大臣になっている。また、672年の壬申の乱の時は長徳の弟にあたる大伴馬来田(まぐた)・吹負(ふけい)兄弟が兵を率いて功績を立てており、以後、奈良時代までの政界で大納言・中納言・参議等が輩出している。

また、大伴安麻呂、大伴旅人、大伴家持、大伴坂上郎女などといった歌人を多く世に出している。遣唐使に大伴古麻呂などがあり、彼は鑑真を日本に密航させた。

政争への関与と衰退
しかし、奈良時代はとかく政争が多かったが、大伴氏もそれに関わる事が多く、長屋王の変では長屋王と親しかった旅人は事件前後に一時的に大宰府に左遷された程度で済んだが、橘奈良麻呂(橘諸兄の息子)の変では古麻呂は拷問死、大伴古慈悲は流罪(称徳天皇崩御後に復帰。)に処された。この事件には家持は関与していなかったが、後に藤原仲麻呂の暗殺計画に関わっていたとされ、左遷の憂き目を見る。その後、壬申の乱で擁立した天武天皇の皇統が断絶し、その血を全く引かない桓武天皇が即位すると、今度は氷上川継の乱への関与を疑われて、また左遷されてしまう。それでも彼は783年に中納言に昇進したが、翌年長岡京への遷都を桓武天皇は実行する。大伴氏はこの政策に不満を持っており、指揮していた藤原種継を暗殺する事件を起こしてしまう。結果、古麻呂の子で首謀者とされた大伴継人は死刑、直前に死去していた家持は除名、それぞれ継人・家持の子である伴国道・大伴永主は流罪となる。

しかし、それでもまだ全く衰退したわけではなく、平安時代初期の桓武朝においても、大伴弟麻呂は初代征夷大将軍となって坂上田村麻呂と共に蝦夷を討ち、後期の803年には国道が赦されて帰京し、参議に昇進している。彼の晩年の823年には淳和天皇(大伴親王)の名を避けて伴(とも)と氏を改める。

その後、清和天皇朝に国道の子、伴善男(とものよしお)が頭角を現し、864年に久々に大納言を出す。しかし、886年に源信(みなもと の まこと)の失脚を図った応天門の変に絡んでいることが判明し(宮廷から他氏族を排除する目的で行われた藤原氏による陰謀説が有力である。)、伊豆に流罪になる。これは結果的に政争に幾度か関わりながらも、由緒ある貴族として命脈を保ってきた伴氏に打撃を与える事となる。

その後
939年には伴保平が参議となり、久々に公卿が出たが、既に72歳の高齢で、950年に引退して以降は公卿は出なくなる。平安時代前期には、紀氏と並んで武人の故実を伝える家とされたが、武士の台頭とともに伴氏は歴史の表舞台から姿を消していく事となり、その後は伴忠国が鶴岡八幡宮初代神主となって以降、その社職を継承しながら血筋を伝えていく事となる。受領(国司)から地方に土着し、武士団化した氏族も各地に残っている。

系図
道臣命
 ┃
(5代略)
 ┃
大伴武日
 ┃
 武以(健持)
 :
 室屋
  ┃
  談
  ┃
 金村
 ┣━━━━┳━━━┓
阿被布古  狭手彦  磐
 ┃
 咋(噛)
 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━┓
 長徳                          馬来田  吹負
 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓   ┃   ┣━━━┓
 安麻呂                     御行  道足 祖父麻呂 牛養
 ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓       ┃   ┃   ┃
 旅人  田主 宿奈麻呂 稲公 坂上郎女      ◇  伯麻呂 古慈斐
 ┃   ┃   ┣━━━━┳━━━━┓     ┃       ┃
 家持  古麻呂 田村大嬢 坂上大嬢 坂上二嬢  駿河麻呂     弟麻呂
 ┃   ┃
 永主  継人
     ┃ 
     伴国道
      ┃
     善男 

2009年01月20日

ポザウネンコア(Posaunenchor)

主にドイツのブラスバンドの一形態。直訳は「トロンボーン(喇叭)の合唱隊」だが、実態はそれ以外の楽器も含むプロテスタント教会専属のアマチュア金管合奏団、つまり金管聖歌隊ともいうべきものである。礼拝などで基本的に賛美歌などを演奏する。

賛美歌の演奏には、会衆やオルガニストと同じソプラノ・アルト・テノール・バスの4声コラールの実音スコア(in C)をそのまま用いる(吹奏楽譜のような移調したパート譜は作成しない)。ソプラノとアルトにはトランペット、テノールとバスにはトロンボーンを当てるのが基本だが、より大きい編成になるとソプラノにはフリューゲルホルン、アルトにアルトトロンボーンやホルン(しかしB♭シングル管のみを使う)、テノールにはテノールホルンやテナートランペット、バスにはオクターヴ下にバス・チューバを補強する。

実演に際しては会衆のコラールの伴奏のほかに、オルガンとの掛け合いや、前奏にファンファーレや序曲、後奏にはフーガや歌無しのコラール、マーチなどが奏される。またクリスマス近くになると、街の広場でクリスマスの賛美歌等も演奏する。

レパートリーとしてはバッハのカンタータ等から取ったコラールがもっとも多い。その外イギリス・ルネッサンス音楽やメンデルスゾーンの無言歌の編曲やハイドンのディヴェルティメントの編曲などもある。

オリジナル曲としては、

マテイアス・キーファーの「サー・エドワードのファンファーレ」
トラウゴット・フュンフゲルトの「トランペット・ヴォランタリー」
トーマス・ウェールケスの「ダヴィデの息子へのオジアンナ」
ラルフ・グレースラーの「旦那、いてくだされ!」
オリヴァー・グレーネヴァルトの「兄弟よさようなら」
トーマス・モルレイの「3つのトロンボーンの為の2つのカンツォネッテン」
ディーター・ヴェンデルの「教会が建てられた」
マグダレーネ・シャウス=フラッケの「主よ、私たちに力を与えたまえ」
カール=テオドール・フュッターロットの「イギリスのクリスマス」
などがある。

ハルモニームジーク
16世紀ごろの室内楽編成の楽団。管楽器で構成されていた。

ウインド・アンサンブル
フレデリック・フェネルがイーストマン音楽学校において提唱した比較的新しい概念であり、クラリネット以外の各楽器は1パート1人編成を原則とする吹奏楽の形態。

実際にはこの原則が杓子定規には守られないが、常にメンバー全員であらゆる楽曲を奏するのではなく、楽曲ごとに作曲者が指定した編成に従い奏者数を増減する手法を積極的に用いる。

代表的な演奏団体種別

軍楽隊
陸軍・海軍・空軍などの軍隊に属している楽隊のことで、通常は木管楽器・金管楽器・打楽器による編成が主となっているが、隊によっては管弦楽の編成のところもある。軍隊の行事である儀式や行進、レクリエーションなどの音楽を演奏することを任務とし、編成については各国ごとに伝統をもっていて、それぞれに特徴がある。

軍楽の歴史は古く、古代エジプトやアッシリアなどで記録が残されているが、充実した形となったのはローマ時代からといわれている。15世紀のころから定着し、17、18世紀には軍楽隊のための作品も多く作られている。19世紀からは編成にも技術にも進歩をみせ、一つの演奏団体としてその力量を発揮するようになった。ヨーロッパの吹奏楽はこの軍楽隊の演奏によって代表されている。

日本では陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊の3自衛隊に音楽隊が置かれている。

消防音楽隊
各自治体の消防本部あるいは消防団によって運営される音楽隊。吹奏楽編成のものが多い。ほかに信号ラッパのみ、あるいは打楽器を加えた編成も数多い。

構成員は、消防職員のみ、また消防団員のみ、あるいは混成、さらに一般人をも含んだり、と多岐にわたる。

活動内容は、奏楽を通じた防火・防災の啓蒙・広報活動を目的とし、消防関係の式典や行事(出初め式など)における演奏や、地域からの依頼演奏のほか、定期演奏会などの自主的な演奏がある。

個人負担金は団体ごとの規定によるが、無いところが多い。
ダーラン サフィ サウンド サイド バング レウイ ルンペン レバノン ブラック シード バレー ソフトダ ロッシュ メロン シャーリ おおばなさ クリーン きゅうせき ケマン カイドウ くしびき ハーフ フェア ビリティ ユーエ モッツ ルヒル ヒューズ ライダー 幸福 リンクス マチン ユッケ スリラー YELLOW テレカ ゲート セッション 風の足跡 オンシ 艶姿 検索ジム バースト テレフ ハック プライ ダバード ワクシニア オーバ モンテ

警察音楽隊
日本では、警視庁(東京)をはじめ各道府県警ごとに音楽隊が置かれている。吹奏楽編成が多い。さらに、カラーガード隊が配備されているところもある。

構成員の身分は、警察官もしくは地方公務員。音楽隊と警察の通常業務を兼ねている隊を兼務隊、音楽隊の業務のみに従事している隊を専務隊と呼ぶ。

皇宮警察や海上保安庁にも兼務隊の音楽隊が設置されている。

外国においては、ロンドン警視庁音楽隊やパリ警視庁音楽隊などの活動が知られている。

学校・企業吹奏楽部(クラブ活動)
学校における音楽隊は、クラブ活動や、部活動として行われる課外活動の一形態となる。編成は吹奏楽編成が多いが、マーチングバンドも存在する。

活動内容は、全日本吹奏楽コンクールや中部日本吹奏楽コンクールなどの各種コンクール、学校の文化祭での発表、運動会での行進演奏、式典演奏などの諸行事での演奏、地域の音楽祭、慰問演奏、定期演奏会など。

個人負担金は部費という形で集められ、額については校外から専門の講師を呼ぶところほど高くなる傾向にある。団体の収入としては、その他にも学校や地方公共団体から補助が入る。余談だが、楽器を購入する代金は備品、楽譜を購入する代金は消耗品と予算科目が異なる。